ヨシムラ
AMAはアメリカ国内選手権のことだが、国内とはいえそのレベルは計り知れず、世界チャンピオンでさえアメリカで勝つことは難しい。そんな世界最高峰ともいえるAMAシリーズを制したのが、このKX250SRなのだ。
2001 AMAスーパークロス AMAナショナル チャンピオンマシン
かつて2ストロークのモトクロッサーが国内外で激戦を繰り広げていたころ、ライムグリーンをまとったカワサキのモトクロッサーKXは、そのパフォーマンスと先進性でつねにライバルに後塵を浴びせてきた。速さをとことん追い求めた開発陣の姿勢は、2001年、AMAモトクロス選手権250ccクラス完全制覇という結果に結実した。
時代を常にけん引するKXと呼ばれるバイク
モトクロッサーのフレームは長らく、太いバックボーンから垂れ下がったパイプでエンジンを支えるセミダブルクレードルが主流だった。しかし足まわりの進化にともない、フレームの高剛性化が求められるようになると、カワサキはこれまでの常識を覆すフレーム形状の開発に着手する。1989年より全日本モトクロスの実戦に投入されたKX250SR、125SRには、ペリメターと呼ばれるニューフレームが採用されていた。エースライダーの岡部篤史選手はニューフレームのデビューイヤーでさっそく250クラスのタイトルを獲得し、そのポテンシャルは実戦の現場で実証されたのである。
10年以上の時を経て、フレームをはじめ各部の熟成を継続したKXシリーズのポテンシャルは、あらためて世界を驚かせた。世界最高峰の実力者が参戦していたAMAスーパークロスでは、ヤマハのジェレミー・マクグラスが圧倒的な速さを見せていた。しかし2001年、KX250SRとリッキー・カーマイケルは全16レース中14勝という驚くべき結果でジェレミー・マクグラスを王座から引きずり下ろした。リッキー・カーマイケルは続くAMAモトクロスシリーズでも圧倒的な速さを見せ、AMAシリーズを完全に制覇する。
この後まもなく、モトクロッサーは4ストローク時代へと突入する。リッキー・カーマイケルの生涯ナンバーである#4をつけたKX250SRは、2ストロークモトクロッサーの究極形ともいえる。
夏目健司
東海地区で雑誌の取材業務に携わる。社会ネタから街ネタ、スポーツ取材と、どんな現場にも駆けつけます。
http://natsuken.cocolog-nifty.com/blog/