ヨシムラ
カワサキは1987年より4ストローク750ccレーサー、ZXR-7をTT-F1クラスに投入する。日本最大の耐久レース、鈴鹿8時間耐久ロードレースはこのカテゴリーで競われており、華やかな舞台で二輪メーカーとしての実力をアピールした。
激戦レースで熟成を重ね鈴鹿8耐での栄光をつかむ
ここに掲載されるマシンは1989年式のZXR-7だ。丸みを帯びたデザインでカブトガニという、決してありがたくはないあだ名で呼ばれた初代モデルと比べると、格段にスリムになった印象だが、その中身は初代モデルを熟成したものだった。
1988年の鈴鹿8耐では、宗和孝宏、多田喜代一の両選手がZXR-7で日本人ペア最高位の5位でチェッカーを受けている。当時、日本人ペア最高位には翌年のル・マン24時間耐久に招待されるという特典があった。このマシンは彼らがル・マンに参戦したマシンそのもので、ヘッドライトも鈴鹿8耐仕様とは異なり、24耐仕様のデュアルタイプとなっている。ライダーは宗和、多田両選手に、テストライダーながらも実戦で結果を残していた塚本昭一選手が加わり、3位でチェッカーを受けている。
ZXR-7は登場以来数々の好結果を記録するものの、優勝にだけは届かなかった。だが1991年にショートストローク化されたZXR750Rエンジンを採用すると、宗和選手が初勝利。以降勝利を重ねていく。そして翌1992年、塚本昭一選手がZXR-7にシリーズチャンピオンという栄冠をもたらした。
TT-F1カテゴリーのラストシーズンとなった1993年にはスコット・ラッセル/アーロン・スライト組が8耐を制し、北川圭一選手は全日本シリーズチャンピオンを獲得する。ZXR-7のラストイヤーは華々しい戦果で飾られることになったのだ。
リヤタイヤのホッピングを制御
ZXR-7のリヤブレーキには独特の構造が採用されている。ブレーキキャリパーのトルクロッドはブレーキング時にスイングアームに取り付けられたレバーを介してフレームを押す方向に作動し、リヤホイールを積極的に路面に押し付けるのである。ブレーキング時のリヤホイールのホッピング軽減をねらった機構で、高い操安性に寄与するのだ。これはKR500の機械式アンチダイブ機構を思い起こさせる手法となっている。
初期型と最終型
熟成を重ね、鈴鹿8耐で悲願の勝利を掴み取ったマシン
1987年に登場したZXR-7。当初はGPX750Rのエンジンが採用されていた。1991年よりベースエンジンは、よりショートストローク化したZXR-7のレプリカモデル、ZXR750R用エンジンに変更される。熟成を重ねた車体とニューエンジンにより、以降ZXR-7はさらに速さを増し、エースライダーの宗和選手がシリーズ初優勝を飾り、世界耐久選手権でもチャンピオンを獲得。また、1992年には塚本選手が年間チャンピオンに輝いた。そしてTT-F1のラストイヤーとなった1993年の鈴鹿8耐ではこれまでの戦略を徹底的に見直し、マシンも前年モデルの熟成とするなど、必勝体制で参戦。その作戦は的中し、ZXR-7はカワサキ初の鈴鹿8耐優勝マシンとなったのだ。
夏目健司
東海地区で雑誌の取材業務に携わる。社会ネタから街ネタ、スポーツ取材と、どんな現場にも駆けつけます。
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