ヨシムラ
バイクのみならず、鉄道や船舶といった重工業製品も生産するカワサキ。同社の歴史を語るうえで欠かせないのが航空機産業だ。岐阜県各務原市には、カワサキ製の戦闘機「飛燕」を展示する博物館がある。
カワサキの手によって再生された“ツバメ”
第二次世界大戦時、当時の川崎航空機は、それまで国内で主流だった空冷エンジンではなく、液冷エンジンを戦闘機に採用し、機体の大幅なスリム化を実現。三式戦闘機・飛燕と呼ばれるこの戦闘機は、最高速度590㎞/h、上昇限度11,000mという、当時の航空機としては群を抜いた高性能を誇った名機で、1943年から終戦までの2年間で、約3,000機以上が生産されたとされている。
さて、そんな飛燕だが戦線で撃墜されたり、戦後のGHQ発令による航空禁止令でスクラップ処分されるなどして、国内において現存する機体は極めて少ない。そんな貴重な機体が、岐阜かかみがはら航空宇宙博物館に展示されている。同館の機体は三式戦闘機・飛燕の二型(川崎キ61-Ⅱ改)。1944年に製造され、終戦時には東京の福生飛行場に配備されていたものだ。同館には飛燕のほかに自衛隊機や実験機、練習機などの宇宙機を含めた実機が34機、レプリカ9機を展示しており、先日、小惑星リュウグウに着陸したはやぶさ2や、国際宇宙ステーションの日本実験棟の実物大模型も展示されている。
飛燕は同地の川崎航空機各務原分工場(当時)で生産された。ここには日本で2番目にできた飛行場(現航空自衛隊岐阜基地)があり、川崎航空機は試験飛行などを行なうべく、1932年にこの地に分工場を設立した。なお同工場は、現在は川崎重工業航空宇宙システムカンパニーの岐阜工場として、航空機や宇宙関連機器などを生産している。各務原という街は、飛燕をはじめとする名機のふるさとであり、カワサキというメーカーにとっても、今も昔も極めて関わりの深い土地なのだ。
同館の飛燕は戦後米軍に接収されたためスクラップ処分を免れた機体である。接収後も福生で保管され、後に日本航空協会へと譲渡された。譲渡後は日本各地での展示を経て、やがて鹿児島県の知覧特攻平和会館で展示されることになった。こうした紆余曲折を経るなかで、機体は幾度となく塗装し直され、各部の痛みも相当なものとなってしまった。
2016年、川崎重工は創立120周年記念事業において、この飛燕の再生プロジェクトを航空宇宙システムカンパニー岐阜工場で開始した。破損、欠損部分の修復や、戦後に加えられた無関係の改造箇所を取り除くといった作業を行ない、塗装もはがされた。約1年にもおよぶ作業を経て、オリジナルに忠実な姿へと復元したのである。
塗装がはがされた機体には、製造番号や国籍マーク(日の丸)などが確認され、さらには製造時に付いたと思われる傷も発見された。展示場には復元部分とオリジナルの部分がはっきりとわかる説明も添えられている。また機体の横には、飛燕が搭載していたハ140エンジンやピストン、スーパーチャージャー、車輪といった貴重なパーツ類も展示されている。ツーリングがてら、そんな貴重な飛燕を見に訪れてみてほしい。
ミュージアムショップ
同館併設のミュージアムショップ。飛燕のプラモデルや関連書籍、アパレルといった飛燕関連のアイテムはもちろん、そのほかにも魅力的なグッズが豊富に取りそろえられる。中には宇宙食といっためずらしいものも。なお同館はカフェも併設しており、軽食も提供しているので、一日たっぷり見学できる。
岐阜かかみがはら航空宇宙博物館
夏目健司
東海地区で雑誌の取材業務に携わる。社会ネタから街ネタ、スポーツ取材と、どんな現場にも駆けつけます。
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