カワサキ特派員

巷にあふれるカワサキネタを特派員がレポート

帆船 日本丸

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ヨシムラ

日常生活のなかでカワサキのネタを発見しようというこの企画。今回のカワサキネタは、神奈川県横浜市のみなとみらい地区で現在も保存・展示されている帆船日本丸だ。カワサキは過去に、帆船も造っていたのだ。

今回のネタは、船だ。しかし、ただの船ではない。主な動力源を風力に頼る、帆船である。カワサキは造船事業も手がけていて、エンジンを搭載した大規模な産業用船舶を開発・製造していることを知っている人はたくさんいると思うが、こと帆船を造った経歴があるという事実に関して、これを知っている人は一体どれだけいるだろう。決して多くはないはずだ。

本企画のネタについて、今回は船舶関連で探していた。とはいっても、カワサキが造っている船はフェリーや遊覧船のような娯楽用のものではなく、コンテナ船やタンカーなど、日常生活ではまず接することのないものばかりだ。もちろんその種の船舶が展示されているような場所もなく、船舶はやはり難しいかとあきらめかけたところ、ある一隻の船を発見した。帆船日本丸(にっぽんまる)である。詳細を調べたところによると、設計こそ違うものの、建造は当時の川崎造船所が手がけたらしい。さらにそれは、見学用に横浜で展示されているのである。帆船というものめずらしさもあって、今回はこれを取り上げることにした。

帆船 日本丸

昭和初期、公立商船学校の練習船として開発された日本丸。日本丸というネーミングは、当時の文部大臣であった田中隆三が、“日本の海の王者にしたい”という期待を込めて命名した

帆船日本丸は、1930年に商船学校の練習船として建造された。建造にあたって、もう一隻の練習船である海王丸と合わせて182万円(当時の日本の一般会計予算の約0.2%)という巨費が国から投じられた。日本丸の建造は、当時の日本国家にとっても一大プロジェクトだったのだ。建造後は、外航商船の船長を志す若者の訓練に使用され、主に太平洋を航海した。第二次世界大戦が勃発すると、日本丸は訓練航行を中止し、石炭などの緊急物資の輸送に従事。日本軍の支援のために運航を続けるなか、幸運にも戦禍を被ることなく、生き残ることができた。終戦後は、海外にいる引揚者の輸送や、外国での遺骨収集活動も行なった。その後は再び訓練船として航海を続け、1984年、新日本丸の就航により、ついにその役目を終えた。建造から引退までの54年間で航海した距離は約183万kmで、その間に1万1000人以上の若き船乗りを育てたという。

帆船 日本丸

迫力満点のマストは、水面からの高さが46mある。また、取材日当日は帆を広げていなかったが、定期的にすべての帆を広げているそうだ

現在は、観光地としても有名な横浜・みなとみらいにある日本丸メモリアルパークにて展示されており、誰でも見学できるようになっている。

戦争を乗り越え、半世紀以上にわたって海上で活躍し続けた日本丸の功績は偉大だ。しかし、忘れないでほしい。その功績を縁の下で支えてきたのが、カワサキの技術力であるということを。今度横浜を訪れる際は、フラッと見に行ってみてはいかがだろうか。

帆船 日本丸

設計はイギリスのラメージ&ファーガッスン社が担当し、建造は川崎造船所が行なった。説明書きに“川崎造船所”の文字を見付けた時、少しうれしくなった

帆船 日本丸

船内の見学も可能だ。入場チケットは、日本丸の横にあるチケット売り場で購入可能。料金は、大人200円(小中学生および65歳以上の人は100円)だ

開催場所帆船日本丸・横浜みなと博物館
URLhttp://www.nippon-maru.or.jp/



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