カワサキ名車列伝

カワサキが誇る伝説の名車の数々を美しい写真とともに紹介

1984KR250

レーシングテクノロジーとイズムの融合、公道に解き放たれた孤高の2スト戦闘機。タンデムツインやRRIS以外にも先進メカニズム満載。

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ヨシムラ

レーサーレプリカブーム真っただ中に投入されたKHシリーズ以来の2ストローク・クォーターロードスポーツ。無敵を誇ったWGPマシン“KR250/350″ゆずりのタンデムツインエンジンが話題となった

独創のフォルムに潜む技術とノウハウのレプリカ

KR250を語るうえで欠かせないのは、A1・サムライに端を発するアメリカ市場への進出およびWGPをメインとするカワサキのレースシーンである。1950年代、実に100社以上のバイクメーカーが国内に乱立していたこの時代に、メイハツからブランドチェンジしたカワサキ。元が航空機メーカーであるというブランドイメージはあったものの、バイクメーカーとしては後発であり、ライバルに追いつき追い越すことが命題とされていた。求められたのはスピードと耐久性。これを証明し、販売につなげるためにはレース参戦が有効であるとされていた時代である。

60年代に突入すると、カワサキは先発であるホンダ、ヤマハ、スズキと肩を並べる存在に。そしてバイク市場は海外へと拡大していく。カワサキはアメリカ進出を重んじており、対米戦略車としてW1およびA1を開発・投入する。市販車世界最速の250cm3としてその性能が認められたA1。そしてA1をベースに製作された市販レーサーA1Rは、その速さを武器に善戦。レースでの結果は販売台数に反映されることが立証された。

70年代、カワサキはレースシーンにKR250、KR350、H2Rを投入する。その驚異的な速さと活躍、そして車体色からグリーンモンスターと称され一世を風靡。とくにWGPにおけるKR250/350の常勝・無敵ぶりには手がつけられない状態であった。

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84年に市販開始となったKR250は、79年式KR250のリスペクトモデルである。当時の国内市場は83年のRG250Γがキッカケとなったレーサーレプリカブーム真っただ中であり、レーサーと同時開発または共通部品を採用していることが販売面において成功の鍵を握っていた。レーサーかと見間違うようなフォルムとクラス最高のパフォーマンスが与えられたレーサーレプリカクラスでは、RG250Γを追撃すべくホンダはRS250ルックスのNS250Rを、ヤマハはTZ250ルックスのRZ250RRを市場投入した。クラス最後発となるカワサキは、ワークスレーサーKR250とGPZ900Rを融合させたかのようなスタイリングのKR250を発表する。

市場の反応は賛否両論。ワークスレーサーKR250ゆずりのタンデムツインエンジンを採用するものの、そのフォルムは当時流行のレプリカスタイルではなかったからだ。83年にWGPを撤退したカワサキにとって、そもそもフォルムをレプリカすべきマシンはない。だが、ワークスレーサーKR250の開発・実戦において磨かれてきた技術やノウハウは惜しみなく投入されており、あえていうならカワサキワークスマシンのメカニズムをインスパイア、レプリカした1台だった。

エンジン性能は一線級でありながら当時の上位機種と同様、ストリートにおけるクラスを超えた走りを目指すシャーシ性能とフォルムを採用したKR250。市街地では扱いやすく一度パワーバンドに入れば炸裂するパワー感のエンジン、安定志向でありながら鋭い旋回性をも見せるシャーシ性能。公道におけるそのパフォーマンスは、カワサキ車=最速・最強のロードスポーツバイクという軸上に間違いなく乗っている。

WGPテクノロジーがフル投入される

KR250の特徴は何といっても他に例を見ないタンデムツインエンジンだろう。前面投影面積を単気筒エンジン並みに小さく、またロータリーディスクバルブのメリットを活かすべく生まれたこのレイアウトは、WGPレーサー・KR250のそれをそのまま採用したのではなく、この車両のために新造された前傾35度のタンデムシリンダーレイアウトだった。クランクシャフトは必然的に2本となり、前シリンダー軸にはジェネレーターおよびウォーターポンプを、後シリンダー軸にはオイルポンプを直結する。個々のクランクシャフトはダイレクトにクラッチギヤを駆動する仕組みとなっている。つまりクランクケース内は可能な限りアイドラーギヤを廃したシンプル構造となっており、徹底したフリクションロスの低減や高い信頼性が図られていたのである。

同一方向に180度等間隔爆発で回転するクランクシャフトは、1次加振動を打ち消しあい理論上の1次振動をゼロ化。そのメリットは、ボルトオン方式3ピースシステム・アルミフレームのデザインへと活かされている。WGPレーサーKR250から得た実戦データやコンピュータによる応力解析、さらにテスト走行から導き出されたデータから作り込まれたこのフレームは、軽量さとねじれ剛性にすぐれるものであった。低重心化とスリム化を両立したシャーシ性能により、コーナリグやS字の切り返しはKRの冠に恥じないスポーティなテイストとなった。

KR250が発売になった1984年(昭和59年)の出来事

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