カワサキが誇る伝説の名車の数々を美しい写真とともに紹介
昇華したZのエンジンを搭載したJ。Z史上初のオーバー100psはその完成度から“第二世代のZ”と命名されカワサキに初の栄光をもたらした。
解き放たれた新Zは最強の乗り手を得て、アメリカを席巻。再びカワサキ最強・最速伝説に火をつけた。カワサキライムグリーンの躍進はここからスタートしたのである。
本場アメリカでAMAにファクトリーとして本格参戦
70年代のなかば、ホンダを始めとする各メーカーがライバル車を続々と輩出し、苦戦を強いられてきたカワサキだったが、78年、正常進化をとげたMkⅡを登場させると、見事に王者復活をとげ、再び最強の冠を手にすることに成功する。
しかし、本場アメリカでAMAにファクトリーとして本格参戦を決定したカワサキにとって、確実に勝利を獲得するためには、さらなる力は絶対に必要であった(81年からのAMAのレギュレーションが大きく変更になり、1000cc以上あったMkⅡが出走できなくなったというのも大きな要因)。
そこでMkⅡをベースにクランクシャフト、ボア、カムシャフト、キャブレター、フレームなど、細部にわたるほとんどすべてを改良、強化し、新しく登場させたのが、第2世代のZと呼ばれることになるZ1000Jだった。
Z1R(78年)、MkⅡ(79年)と角張ったデザインを採用してきたZに比べると、Jのデザインはずいぶんと丸みをおびた、やさしい印象を受ける。しかし、中身の方は、排気量こそAMAのレギュレーションに対応して1,015ccから998ccへとダウンしているものの、クランクシャフト径のアップ、エンジンフロント部のフローティングマウント化、クラッチ容量のアップ、新設計のフレーム、乾燥重量も5kg減、などとあらゆる点で改良が行なわれ、高回転、高出力化が図られ、運動性能も格段に向上していた。最高出力はZ史上初めて100psを超え、102㎰に達し、最高速は211km/h以上と、戦闘力は今までのどのZよりも高みへ到達したのである。
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新星エディ・ローソンによりサーキットに放たれたJの活躍
このJをベースにロブ・マジーの“ゴッドハンド”によってレース用にチューンされ、新星エディ・ローソンによりサーキットに放たれたJの活躍はすさまじく、81年、AMAスーパーバイクで4勝をあげ、ホンダに乗るスペンサーを見事に抑え、カワサキを初のシリーズチャンピオンに導いたのである。それは、Z1の登場から実に10年目の快挙であった。そして、勢いの止まらないこのゴールデンコンビは翌年もチャンピオンを獲得。ヨーロッパでは、同じくJベースのKR1000が世界耐久レースで81、82年メーカーチャンピオンを獲得し、ライダーランキング1〜4位までを独占するという大快挙を成し遂げ、Z最強伝説をゆるぎないものにしたのだった。
ライムグリーンをまとい、サーキットを席巻するローソンとZ1000Jの姿はファンをまたたく間に魅了し、まさに80年代初頭はZ1000Jのライムグリーン旋風が吹き荒れ、その雄姿をファンの目に焼き付けたのだった。
Z1000Jが発売になった1981年(昭和56年)の出来事
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