カワサキ名車列伝

カワサキが誇る伝説の名車の数々を美しい写真とともに紹介

1983GPz1100

Zを生み、Zを育てたカワサキ。その10年の思いのすべてが 注ぎ込まれたZは、究極のZに到達。見事にその進化を結実させたのである。

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ヨシムラ

1972年から約10年間、多くのZが誕生し最速に挑み続けてきた。そして83年。それまで育んだすべてのノウハウを注ぎ込まれたZは過去最高のZとなって完成した。しかし、それはまた不変のZ伝説がついに完結し、次世代へと時代が流れていく瞬間でもあった。

“最高にして最後”という“Z”の冠をまとったバイクの歴史は、世界最強、最速への挑戦の歴史でもあった。その宿命は初代Z1から始まり、数々の試行錯誤を繰り返しながら進化を続け、最速の称号を死守し、またときにはライバルたちから奪回をしてきたものだった。この歴史のなかで生まれたZの数は実に16以上で(あくまでもZ1、Z2、Z1R、MkⅡ、Jなどといった代表的な空冷4発のZの数であり、ここからマイナーチェンジしたものや750、400ccクラスのZを入れると30台以上もの空冷Zが誕生したのである)、この数は72年に登場したZのエンジンが、ベースとしていかにすぐれていたかの証明であった。

育んできたすべてのノウハウを注ぎ込まれた過去最高のZ

そして、83年。その10年以上にもおよぶ開発ヒストリーのなかでつちかったノウハウのすべてを注ぎ込まれ、路上に放たれたのが、GPz1100だった。エンジン出力120ps、最大トルク10.2kg-mのスペックは、ゼロヨン10.91秒、最高速度240km/hを叩き出すほどで、これはZにこだわり続けてきたカワサキ渾身の数値であり、まぎれもなく世界最速の数値だった。

それまでの角張ったイメージを一新し、ストリームラインと呼ばれた流れるようなフォルムを全身にまとい登場したGPz1100。もちろんエンジン、足まわり、ブレーキなど随所に新しいテクノロジーを注ぎ込まれたハイメカマシンであり、当時のどのライバルたちよりもすぐれた動力性能をほこったのである。とくにロング化されたホイールベースのお陰で超高速域での安定性は格段に向上を見せていた。このころすでに次期最速モデルGPZ900Rの開発が進んでいたが、GPzをただのつなぎバイクにせず、あえてこの空冷最速マシンを作りあげた姿勢に、カワサキの持つZと最速へのただならぬこだわりをうかがい知ることができるだろう。72年登場のZ1から数々の変せんを繰り返すこと11年、新Zは別物のZに到達を遂げたのである。

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不変のZ伝説がついに完結し、次世代へと時代が流れていく瞬間

このすべてを一新したGPz1100の登場は、流れるようなフォルムとあいまって、世界中から絶賛されることとなり“その衝撃はZ1以来のもの”と評価され、その人気ぶりは日本に逆輸入ブームを巻き起こすほどであった。しかし、80年代初頭、ビッグバイクを取り巻く歴史の大きな流れはすでに水冷化に突入していた。カワサキにとっても高出力に対応すべく水冷エンジンを搭載した次世代最強モデルの開発は急務であり、必然であった。

そんななか、84年、カワサキは革命的な水冷4バルブDOHCエンジンを搭載したマシンをついに完成させる。これにより空冷4発2バルブエンジンという不変のスタイルを10年にわたってつらぬき、最高にして最後のZへと到達をはたしながらも、GPz1100はフラッグシップとしての座をニューマシンにゆずり渡すと同時に、その姿を市場から消していったのである。

GPz1100が発売になった1983年(昭和58年)の出来事

東京ディズニーランドオープン/任天堂「ファミリーコンピュータ」発売/TVでVTR映像の使用が急増/大韓航空機ソ連機に撃墜される/田中角栄に東京地裁実刑判決/フィリピンのアキノ大統領暗殺/日本海中部地震で104名死亡/青木功米ツアー初優勝/NHK朝の連ドラ「おしん」と「ふぞろいの林檎たち」が大人気/流行語「おしん」「軽薄短小」/映画「スターウォ−ズジェダイの復讐」「フラッシュダンス」「戦場のメリークリスマス」「時をかける少女」

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